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権田一さん、事件ですよ! ―現代思想殺人事件―

                                (『コンセプト・ノワール』創刊号、1989年より)

 

 「朝田起太さーん、もうとっくに昼ですよ。どうしたんですかあ?」

どんどんと頑健な男がドアを叩く。チラリとアゴが覗いた。

「朝田起太さーん、朝起きて歯を磨く国家のイデオロギー装置はどうしたんですか、無事なんですか?よし、こうなったら、突撃するしかない!」

 

男−−木村屋ホテルの主人、木村屋主人は、ドアを突き破って、思わず、折から持ち合わせのバルサンを部屋の中にぶちまけた。

 

「あっ、朝田さん・・・・・」

 

 部屋の中にはバルサンで真っ白になった朝田の無惨な姿があった。

 

* * *

 「うーん、そういう凡庸な事件に呼ぶなどは、私をブジョクしきった話でアル。そういうやからは、いかなる身体的暴力をも覚悟しなくてはならない」

 

 駒場署の筈見髭彦刑事部長は、べルギー仕込みの髭を撫でながらこうつぶやいた。「ま、こんな事件は私の灰色の脳紹胞をもってすれば、という所だな」

彼にはこの事件の恐ろしさがまだわかっていなかった…。

 

* * *

 「事件の現場」検証を終えた筈見刑事部長はサッソク部下を聞き込みに走らせる一方、証人からの事情聴取をはじめた。

「私が事件の発見者の木村屋です」

超然と髭を撫しつつ誓見は、「で、発見当時の模様を闘かせて下さい」と言った。

「ウチらはですね、原則として、お客に対しては一定の宿泊代金を払っていただいて・・・・」

事情聴取ば木村屋の一方的な宣伝のみに終始し、なんら得るところはなかった…。

 

        * *

 「なんだ、これは」

 多摩中央拘置所の看守長は部下にたずねた。

「川口看守長。これは今度、あの木村屋殺人事件の容疑者として木村屋主人が逮捕されたんですが…」

「うむ、その事件なら知っとるが」

「木村屋はあくまでも無実を主張して、今日までの十四日間にわたる仮拘置の打破のための看守長(=囚友会会長)の監獄会見を要求して、このように貼り紙をしている次第で」

 

川口は、この歳になるまで順調に看守長にまで登りつめてきたのに、とびこんできたとんだ災難に溜め息をついた。

 

        * *

事件が急転回を見せたのはその日の午後であった。その頃、桁谷丙人(けたたにへいじん)というサギ師が評論家を装って某大学の哲学会からなけなしの講演料を詐取したとして検挙された。この桁谷の証言から、事件は思わぬ方向に転位せざるをえなかった。

 

「今はもう足を洗ったが、かつては名スリ師と恐れられていた経堂源蔵のジイさんのところにいってみるんだな」

そう言うなり桁谷は、気障にタバコを手首をひねりながらヒュッと投げすてた。

その話を聞きつけた筈見刑事部長は、ただちに経堂源蔵のもとにとんだ。

 

「私に殺人の容疑いったい正気か」

経堂源蔵は筈見につかみかかった。

 

「ワシはワシが事件について知っていることをいうわけには、いかんのだ。もし言ったら世界が凍りつくということによってワシは廃人らしい……。まあ狂本のところへでも行ってみるんだな」

 

「経堂さん、事件認識の方法を、どうか教えてくれませんか」

筈見はふだんに似ずへいこらして言った。

「ま、ミケネコ・フリーコーが日本にあらわれるようなことがあるなら別じゃが…」

 

それをきいた筈見の顔がさっと蒼ざめた、そそくさと経堂源蔵宅を辞した筈見はただちに辞表を出し、二度と事件について語ろうとしなかった。人々は筈見が経堂から何かを聞き知ったにちがいないと噂した。

 

        * *

「ここで、今までの事件の経過の問題論的背景について僭越非才をもかえリみず、私が辿るという大役を仰せつかろうと愚考する次第であります」

 

筈見の辞職後、自ら駒場署の捜査本部長を買って出た角明松渉(かくめいまつわたる)警視は、眼鏡をキラリと光らせながら説明を始めた。

 

「つとに知られていますように、『木村屋殺人事件調書』には編集上の問題点があり、偽書にも等しいといわねばならぬものがあります。それがために、この事件を疎外論的に解釈することを許すかの如き弊害を生み、事件的世界の物象化的錯視をもたらしてしまうのであります。事件的世界の共同正犯的存立構造を解明的に叙述することが、捜査の立ち到っているアポリアを端的に超出する地平を切り拓く前提的要件となるのであります。まず、われわれは朝田起太と木村屋ホテルとの関係の第一次性に定位しなくてはならないのであります」

 

ここまで話した時、会議の隅の方でじっと聞いていた白バイ特務班黒バイ警官・堂田舞高(どうだまいたか)が、突如、質問を始めた。

「フェア・ウンス、フェア・エスの構造において、事件当事者にとっての知と、事件捜査官にとっての知の乖離を生み出す物象化論にもとづく共同正犯性論は、事件当事者の動機の切実さを他人事として眺めるしかなく、動機性に定位した真の事件解決はありえないのだ、ドウダ、マイッタカ」

 

キラリと眼鏡を光らせた角明松は、

「そんなことはシカクス・サンカクスの『犯罪論』には書いてありませんね」とだけ一言いった。

 

「いや、結局は共同正犯性というのは共犯幻想と同じなのだ」

会議室のドアをいきなりあけ、さっそうと現れたのは、なんとフダツキのゴロツキ・サギ師桁谷丙人その人であった。

「どうも経堂のジイサンが語りたがらないようだが、疎外論的な彼の共犯幻想と、角明松さんの物象化論的な共同正犯性は同じなのです」

 

「いや、混同されてもらっては困る」と角明松は眼鏡をキラリと光らせた。会議室ば思わず静まり返った。

 

と、その沈黙を破る音が、ズゴンという断章音がしたので、人々がドアの方を見ると、大きな口がヌッと現れた。

 

「や、これは権田一驚助さんではないですか」

「あー、ゴメン、ゴメン。警視庁のつもりで行ったら埼玉大学でさあ、遅れちゃったんだよ」

 

権田一驚助−−かの幻の名探偵コーキ・メロポンの日本におけるメッセンジャーである鬼田幻の弟子。

 

「オオ、ついに権田一が乗り出したのか」

と嘆声がもれた。

「実は会議はこんな具合に行き詰まってしまっているんです」と

誰かが成り行きを説明すると、

「うーん、相剋だア」と権田一はうなった…−−。

 

この一言で捜査本部は一挙に崩壊していった。

 

        * *

 事件は完全に迷宮入りするかに見えた。

そんな秋のある日、ミケネコ・フリーコーが来日講演を行った。

そして、そのあと、パーティが開かれた。パーティ会場には、経堂源蔵をはじめ、筈見髭彦、狂本椿一郎(くるもとちんいちろう)、そして権田一驚助が集まっていた。

 

「いかなる事件も徹底的に解決しようとすると、最後に解決不可能性に陥ってしまうのです」

と桁谷がいうと、狂本は、

「牛は発狂するーッ!」

と絶叫した。

 

これを会場で見ていた権田一驚助は突然、鼻息を荒くし、肩をふるわせて激昂し、

「海だ、飛翔、彼方へ!」

と叫ぶや否や、ドタドタと走り出し、ポンポンポーンと跳躍しズゴッと壁に激突した。そして、うなるように、

「うーん、相剋だア」

といった。

 

経堂源蔵とフリーコーが筈見の通弁で事件認識の方法について語り合っていたが、やおら経堂が、

「ワシは、蒼ざめるほど驚愕した!」

と叫び、一同の方に向き直り、言った。

「皆の衆、『現場の原像』を繰り込みたまえ。それだけ言ったらワシは帰る」

とスタスタと居なくなってしまったのだった。

 

シーンとした会場の空気を破って、突如、権田一驚助がうなりはじめた。

「ボクが現象学を始めたのは、科学に対する不信からでー」

そこで権田一は頭をかかえた。

 

権田一には暗い過去があったのだ。十年前、湯沸かし器を空炊きしたまま横浜中を彷復い歩いて湯沸かし器を駄目にし、それをネタに自主管理官僚に千円を弁償金として巻き上げられたのであった。

それ以来彼は反科学、反核、反安保、反米、反共の権化となって復讐の鬼と化したのであった。

 

「『現代探偵』の調書なんか読んでカッコいいことだけ言ってもダメだ」

 

突如会場の片隅からダミ声が聞こえた。

ハッとした権田一は、「あっ、キ、キ、鬼田先生!」

鬼田は会場をハッシとにらむと、

「しゃべるなら出て行け、出て行かないならしゃべるな!」

と、何やら事件の核心に迫る謎を説いた。

 

「せ、先生!」

逆上した権田一は身を震わせ、感涙にむせび泣いた。

 

これをだまって見ていたフリーコーは、

「やはり経堂サンの言うことは読みが深い。ドーカ経堂サンの理論が仏訳され、また手紙で文通できることを期待します」と言った。

と、そこへ覆面の男がワニに乗って現れた。が、不気味なフォネー(声)で、「私は・・・雨傘を忘れた」というと再び退場してしまった。

「あ、あれはジャック・ゲリラだったんじゃないのか…」

思わず、会場は静まり返った、言い知れぬ恐怖に……。

 

と、「みんな、みんな私がいけなかったんだァ!」

又々突然会場の一角から叫び声があがった。

人々がその方向を見ると、そこにはあの筈見が泣き伏しているのだった。

「私が、私が日本語とフランス語の関係の一次性を、ウラル・アルタイ語属と印欧語属の関係の一次性を取り持ったからなんだ!」

 

これを聞いてフリーコーば顔色を変えた。いつのまにか戻ってきていた経堂源蔵も逆上して、

「中世暗黒主義、翼賛政治の再現だ、諸君、目をさませ、自立思想はすくなくともそんなことは教えはしなかった」

と叫んだ。

 

「ハ、筈見さん、それは禁句だ」

 フリーコーがたしなめるのもきかず筈見は、

「十年前、私は町で田中角栄とすれ違ったかも知れない。だが私にはヨッシャ、ヨッシャの一言もいえなかったのだ」

 

フリーコーは又々あわてて、

「これは幻影です、我々が認識しえない<外>もあるのだ」

 

事件はだんだん核心から遠去かっていく。いったいなにがあったというのか?また、主役の座をすっかりうばわれた権田一驚助はどのように物語を脱−構築して、ともかく犯行−殺人への欲動を措定するのでアロウカ……?!

 

        * *

「この混迷せる犯罪捜査の情況を止揚するためには犯罪捜査理論の乱立情況を止揚せねばならないと愚考する次第であります」

 

会場のドアの方で眼鏡がキラリと光った。「ハッ」とそれまで手をとり感涙にむせんでいた鬼田、権田一師弟はドアの方を向き、驚愕の表情で角明松渉の登場を見た。

 

「つ、ついに、あの『犯罪と意味』が出たか・・・」

鬼田幻が苦吟するかのようにつぶやくと、突如、

「鬼田幻なんてダメだァ」

といいながら権田一がヌァ〜とつっ立ってフラ〜と会場の真ん中へ歩いて行った。

 

「いや、鬼田さんの地道な業績は評価しなくちゃいけないよ。シロウトは派手な立ち廻りに目をうばわれやすいけどね」

「日和井さん…」

日和井立人(ひわいたつひと)があらわれた。

「この事件は実に恐ろしい事件でしたよ、権田一さん。角明松さんの犯罪物象化論ではとても解決できるたぐいの事件じゃない」

と日和井がいうと、角明松はメガネをキラリと光らせ、

 

「このような新しい状況に竿差しながら、そこにどういうオリジナルな捜査が登場するようになったか、この部面の回頑と検討については、あとは、若い世代の諸君に譲ることに致しましょう」

と言って席を立った。

 

「私がすべてを説明しましょう」

日和井が引き受けた。

 

「そもそも、この事件が迷官入りになるのか、解決可能なのかは、キャベツ人形もパンダの親指も語ってくれるものではない。私には言いたいことは何もない、ということが言いたいことなのであり、一度目は悲劇として、二度目は喜劇として、三度目は茶番として、私の『ロミオとジュリエットの犯罪論』は、桁谷君の『私という病ーマクベスその蓋然性の小林秀雄はコマなんです』の茶番なんですが、森痩(もりやつし)の『駄っ山』『忌みの変容』におけるあの世の観念が、この犯罪の解決不可能性に相通ずるのです。犯罪はそれ自体で不均衡を孕んでおり、これを動学的に解明していこうとする私の犯罪不均衡動学は・・・・」

 

事件は、ついに迷宮入りとなったのであった。*

 

        * *

「筈見さん、経堂さんは結局、なんと言ったのですか?」

 

ある時、筈見にこう訊ねるものがあった、という。それに対して筈見は、えん然と髭を撫でていたが、ふと、ニヤリと笑って、

 

「あのとき経堂さんはあの事件の大きさに気づいていて、ただこういったんだよ。このきわめて困難な殺人事件に対しては、捜査員のみなさんは一どこにも同等の重心をかけ、どこにも重心をかけないように、重層的な非決定という態度で臨むべきだと考えているのです、とね」

 

1983年秋&1985年秋(20037月若干訂正。83年秋、主要部分はS氏の筆になる。)

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